BOOK GUIDE vol.I | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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唐木順三 1963年5月30日発行 筑摩書房刊 232ページ 目次 二 長谷川等伯と利休 美術品としての茶碗に興味を覚えたので、千利休について書かれた本を数冊読んでみた。教えられることの多かったのが、この唐木順三の書物である。 美術品としての茶碗、そう書いたのは、わたしが茶道とは無縁の人間だからだ。唐木氏が茶の道を嗜まれたのかどうか、寡聞にしてわたしは知らない。ただ、本書では茶道具の鑑賞に関する記述はない。氏の興味は、利休の美学形成にひたすら絞られている。具体的には「わび」と「さび」という言葉を鍵にして、時代的に世阿彌の「さび」、利休の「わび」、そして、芭蕉の「わび」と「さび」を論じている。戦国・下克上の修羅をへて安土桃山、そして江戸時代へと世が移り変わるにつれ、「さび」と言い「わび」とも呼ばれた美意識が、利休という複雑な人格の中で、どのように磨かれ、次代に受け継がれていったのか、その変遷が綿密にたどられていく。そのとき、氏は繰り返して読者の注意をうながす。利休の「わび」とは対比概念であると。以下の引用を一読していただければ、その主張を理解していただけることだろう。 「わびは對比において起る。過去の豪奢に對する現在のわび、世間の豪勢に對する自分のわび、また自己の豐富に對する自己のわび等である。豪奢や豐富に對していへば隱逸や貧寒であるが、これは量的な相違はあつても有に對する有であることには違ひがない。極小の量によつて極大の量を批評するといふ性格はたしかにある。緊密にして凝つた量は粗大にして亂雑な量よりも高い。密度の高い量にこもつて散漫に對抗することがいはば侘數寄であつたのである。だから贅澤や豪勢に對立し、それを白眼視はするが、對立する對象がなくなれば、わび自體の存在理由があやしくなる。藁屋に名馬といふところがその限界といつてよい。名馬意識から離れえないのである。利休の悲劇の根本原因もそこにあつた。結局において利休は秀吉に對立する批評的存在の域を超えることができなかつたといつてよい」(本書 p.35) 有り体に言えば、信長、秀吉の、すべてを金で豪奢に飾り立てようとする趣味に対して、利休は無彩色の美学で批判的に対抗したが、両者の対比を逃れては、「利休好み」も成立があやういということだ。 利休が陶工・長次郎に指示して焼かせたと言われる黒楽茶碗が現代にいくつも伝わっている。それ自体、両手につつまれるほどの小さな黒い土の塊にすぎないのに、その存在感は圧倒的である。なにゆえそのような力が感じ取れるのか。わたしにはその魅力の理由が最初はつかみきれなかった。しかし、あるとき、こんな経験をした。ある美術館で展示ケースに収められた黒楽茶碗に出会ったとき、わたしは唐木氏の教えにしたがって、ちっぽけな黒い楽茶碗の背後に金屏風を想像のうちに置いてみた。するとどうだろう、茶碗の存在の密度がぐっとしまり、一点の宇宙になったのだ。それが存在することによって、なにかしら空間の密度が変動するたたずまいがあった。黄金と対峙する漆黒、それが利休の色だ。 桃山時代というのは不思議な時代だ。狩野秀頼の描いた《高雄観楓図屏風》という屏風絵が東京国立博物館にある。これは、まさにその当時の庶民が、楓の紅葉を愛でようと京の郊外で宴を催している光景を描いたものだ。男たちは微醺を帯びて踊りに興じ、女たちは楽しげにおしゃべりに夢中になっている。かれらの笑い声や紅葉のさざめきまでもが聞こえてきそうな、一刹那の快楽が永遠の安らぎにとけこんでゆくような、素晴らしい屏風絵なのだが、名もなき庶民たちの背景である地面や空間は、あらかた金箔で埋め尽くされているのだ。桃山時代とは、金の輝きが権力者だけではなく、庶民の生活風景にも自然になじんだ、高揚感に包まれた時代だったのかもしれない。そういえば、「ばさら」という言葉がもてはやされたのもこの時代だったことが思い浮かんでくる。 そんな風潮のなかで、利休という人物は自らの美意識のベクトルを逆転させ、時代が高揚すればするほど内面に沈潜していく。そして、緻密な操作を発案しながら新しい美学をうち樹てていったのだ。 「彼は大書院における臺子の大名茶に對立して數奇屋の茶を立てた。六疊の茶座敷は四疊半に、三疊に、二疊半に、二疊に、つひには一疊半にまで縮小された。安土の城が七層になり、大阪の天守が九層になつてゆくのを眼前にみて、彼の茶室は小さく小さく、その極小までに狹められてゆく。外形を極度に縮小することによつて、反つてその内容を豐富にする方向へ志す。遂には耳かきを少し大きくした程の一本の茶杓に、茶の象徴を見出すといふところまでゆく。外形を極度に縮小しながら、その内容を豐富にするためには、さまざまな規矩準縄を必要とする。指一本動かすにも寸法によらねばならぬ。そこに禪堂の清規に似た茶の方式が興る。(中略)二疊の侘座敷に天地を入れ、陰陽を入れ、四時の運行をいれて、一服の茶に天下の味を味はふといふ別天地、別乾坤、別の王國が成立したわけである。秀吉の眼が唐天竺南蠻と大廣域へむけられているとき、利休はこの別王國へ趙州達磨を唐天竺から迎へ入れようとしてゐるわけである」(本書 p.160) マルセル・デュシャンを数百年ほど先取りするような過激な「見立て」の美学がそこにはある。ミニマリズムなどという西洋の翻訳概念は、利休の審美眼の前には色を失うだろうが、しかし、不幸なことに、利休にはデュシャンの持っていた遊びという精神が欠けていた。冗談を言って微笑する飄々とした利休をだれが想像できるだろうか。そこで、「わび」の美学は、縮小し尽つくされた茶室を出て、荒野をさまよう芭蕉の天才へと受け継がれ、「俳味」を取り入れていくことになる。 by takahata: 2004.11.30 |
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