BOOK GUIDE vol.II | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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辻惟雄 1986年4月10日発行 角川書店刊 268頁 目次 本書は、著者の名著『奇想の系譜』と『奇想の図譜』の間に挟まれ、『奇想の図譜』誕生の3年前に刊行された。しかし、両著書が文庫本化されたのに対し、本書は長く品切れのままとなっている。収録内容は雑誌に発表された短めの論文の寄せ集めなのだが、永年、著者の関心の対象となっている「綺矯なるもの」「かざり」についての探求に関わる論考ばかりなので、そのおもしろさに遜色はない。機会があれば手にとってみていただきたい。 冒頭に置かれた「日本美術に見る日本的性格」は、源豊宗氏の名著『日本美術の流れ』に対する著者なりの応答のように思われる。古代から江戸末期にいたるまで、日本美術は常に中国美術から影響をうけとり、それを〈日本的なるもの〉に消化・変容させながら発展してきた。その〈日本的なるもの〉を、源豊宗氏は「情趣主義」と規定したわけなのだが、それに対して辻氏は「装飾の喜び」「遊戯する心」といった別の角度からの定義を打ち出す。「あはれ」に対して「をかし」の重要性に着目したわけである。考えてみれば、辻氏の日本美術史へのアプローチは一貫して、この「をかし」の鉱脈を再発見することにあったと言える。そして、この問題は岩波版『日本美術の流れ』シリーズの最終巻『日本美術の見方』において、もう一度くわしく論じられることになる。そういう流れのなかでみると、本論はささやかながらも、著者の日本美術史の構想の出発点になっているといえよう。 さて、「をかし」という言葉から、著者は「をこ」という言葉へとさかのぼっていく。その語源は以下のようである。 「『をこ』は、すでに古事記に見え、『をかし』より古い起源を持つ。中国で南夷を『烏滸』」と呼び、その馬鹿気た風俗をたとえたところから、思慮の足りない愚行を意味するものとしてこの語が生じたと伝える。『をかし』を『をこ』の形容詞化と見る説が従来から有力」(p.50)。 そして、「をこ」という言葉の変遷を、柳田国男の「烏滸の文学」を援用しつつ、次のように要約する。 「『今昔物語』巻二十八の内容のすべては『可咲(ヲカシ)』さを誘い出す『をこ』の振舞に違いないとはいえ、それは決して思慮の足りない人間の自発的愚行のみを意味しているのではない。むしろ逆に『並より少し鋭すぎる者』が『をこ』の場合を人為的につくり出し演技する場合もまま認められる。それは、単なる人間の生き方という以上に、志ある者の想像力の習練によって得られる芸術の域にまで進んだ境地であり、人を楽しくする技芸であった。だがその豊かな伝統は中世以後、しだいに『をこ』が単なる馬鹿の代名詞に成り下がるにつれて、衰退し、近代においてはほとんど忘れられてしまった」(p.51)。 この「をこ」なる精神に溢れた絵画が「をこ絵」であり、平安朝期における「をこ絵」の諧謔性、遊戯精神を論じたのが、「『をこ絵』の世界」である。『今昔物語』に登場する義清阿闍梨という当意即妙の絵を描く僧の逸話、「信貴山縁起絵巻」に見られるおどけた人物表現、後白川法皇の命で作られた「年中行事絵巻」の、厳粛なる行列に添えられるコミック的な混乱の描写、「地獄草紙 膿血所」に見られる、地獄の責め苦にただようユーモアなど、著者は、日本の中世を彩っていた哄笑の世界へわたしたちを導いてくれる。「をかし」に遊行する著者ならではの世界である。 「初期風俗画と媾曳図」も興味深い一篇。桃山期あたりに描かれた風俗図屏風が好きな人ならば、この時期の屏風にときどき、若い男女の行きずりの姿が描かれていることをご存じだろう。この白昼の〈合コン〉図、どうもそのはじまりは《洛中洛外図屏風》(舟木家本)らしいのだが、はじめは良家の子女が描かれていたのに、数々の絵師に引き写されていき、時代を下がるにつれ、女性は遊女の姿かたちに「階級的転落」を遂げてしまうという。そして、熱海のMOA美術館所蔵の、あの有名な《湯女図》は、実は、その「転落の系譜」に連なるもので、最初は二曲一隻の「湯女とかぶき者図」として描かれていたのに、いまは左扇の湯女図しか残っていないのではないか、というのが、辻氏の推理である。 だいたい辻氏という学者は、奇想の系譜だの「をこ絵」だの、乱暴に言えばゲテモノばかりを引っ張り出してきては悦に入っているような、変わった学者に世間では思われているらしい。けれども、普通のひとが興味本位で騒ぎ立てれば悪趣味なだけの「をこなるもの」も、辻氏の柔軟で広く深い学識に裏打ちされた鑑賞眼を通ると、その本来の姿をあらわして、美術史のなかのしかるべき位置にぴたりと納まってしまう。日本美術のおおよその図像が、かなり正確に辻氏の脳内宇宙にインプットされているのだろう。そうでなければ生まれ得ない説得力、並の学者にできるわざではないと敬服させられてしまう。 takahata: 2005.08.11 |
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『日本美術の見方』岩波書店刊 |
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『湯女図─視線のドラマ』 |
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