文学 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
BOOK GUIDE vol.III | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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ミルチャ・エリアーデ/直野敦+住谷春也訳 1983年8月10日発行 エディシオン・アルシーヴ刊 246ページ 目次 ルーマニア生まれの宗教学者、ミルチャ・エリアーデ(1907-86)。大著『世界宗教史』をはじめ『エリアーデ著作集』で、日本でも読書人にはなじみの深い碩学だ。しかし、エリアーデは幻想小説家というもうひとつの顔をもっている。わが国では『エリアーデ幻想小説全集』全3巻が作品社から刊行されているが、全巻を読み終えたあとでも、「ホーニヒベルガー博士の秘密」という中編のおもしろさは、やはり群を抜いていると思わざるをえない。 エリアーデの幻想小説には、現実世界のなかに神秘的な異界への通路が、突然として現れるという構想のものが多い。宗教学で言う「聖なるものの顕現(ヒエロファニー)」である。そして、その「顕現」はあからさまに示されるのではなく、異世界へ開かれた通路を暗示する、あるいは誰かがそこから彼岸へ通過していった痕跡を見出すにとどまるため、ドラマチックな小説的効果を生み出しにくいようだ。読む人によっては、肩すかしをくわされたような結末に不満を覚えることもあるだろう。 エリアーデ自身、若き日にはインドへ赴きヨガの修練に励んでいる。そしておそらく、いかに厳しい修行を続けても、ヒエロファニーを身をもって体験することの難しさに苦悩したことだろう。だから、エリアーデは理知をもって「聖なるもの」を分析し、わが身にそわせようとした。それが宗教学者としてのエリアーデの顔だ。しかし、「聖なるもの」への渇仰は、理性的なアプローチだけでは癒しきれない。そこでかれは小説を書くことで、「聖」への接近をはたそうとしたのではないか。そして、そのためだろうか、エリアーデの作品は「聖なるもの」を決定的な姿で描くことをしない。憧れは彼方の世界に永遠に開かれていなければならない、とでも言うように。 さて、実は、「ホーニヒベルガー博士の秘密」も、そのような異世界を暗示するだけの筋運びなのだが、エリアーデは結末部において、現実世界に対しても思いがけない謎を提示する。まるで、現実世界というあやで表面を織りなされた手袋から急に手を引き抜いたため、表裏一体であった裏面の異界が、突如として現実を逆に包み込んでしまうかのように。 集中力を持続しながら読み進んでいかなければならないので、エリアーデの世界はすべての人に向いてはいないだろう。しかし、ストーリー自体と、ストーリー展開の間隙に潜むメタローグを感じ取れる人ならば、エリアーデの幻想世界は蠱惑的にちがいない。ほかに、中編「ムントゥリャサ通りで」(全集第2巻収録)も複雑ではあるが、異世界への交通が幻惑的で眩暈に似た感覚におそわれる。 ここに書影を掲げたエディシオン・アルシーヴ版の外箱は羽良多平吉のデザイン。金地にピンクのオペークインクで、飛沫のような文様を全面にあしらった様子は、時代を超越した琳派芸術のよう。 本書は1990年に、今はなき福武文庫として再刊されたが、これも入手困難。現在は作品社の「エリアーデ幻想小説全集 第1巻」に収録されている。 by takahata: 2004.11.30 |
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『エリアーデ幻想小説全集』全3巻 作品社刊 |
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