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喪われた本を求めて
BOOK GUIDE vol.I

品切れ本を中心とした書評ページです。

エッセイ・評論 思想・芸術 文学

第一書房 長谷川巳之吉

林達夫、福田清人、布川角左衛門/編著

1984年9月14日発行 日本エディタースクール出版部刊 340ページ

目次
はしがき(福田清人)
第一書房 長谷川巳之吉生涯と事業(関口安義、布川角左衛門)

回想
第一書房と私(入江相政)
長谷川さんと第一書房の思い出(福田清人)
第一書房のころ(三浦逸雄)
私の「セルパン」時代(春山行夫)
長谷川巳之吉さんを憶う(亀倉雄策)
第一書房しんがりの記(野田宇太郎)
長谷川巳之吉さんとの出会い(草野貞之)
雪の降る寒村から(内村直也)
私と第一書房(池田圭)
長谷川巳之吉さんの思い出(高橋健二)
辱知十年(城夏子)
「第一書房」文化(飯沢匡)
宋釣窯鉢(谷川徹三)
一冊の本(林達夫)
巳之吉遺文(19編)

資料
第一書房刊行図書目録/長谷川巳之吉年譜/後記(衣奈多喜男)

いまさら第一書房と言ったところで、興味を示す若い人がどれほどいることだろう。第一書房は大正12年に東京の芝高輪で創業、出版史に残る数々の瀟洒な美本をはじめ、千点以上の書籍を世に送り出し、昭和19年に閉業した。いまでも、豪華本を扱うような古書店になら、おそらく店主の背後の書棚に、皮革装の第一書房版の書籍がひっそりと置かれている。もっとも有名な書籍は、おそらく堀口大學の『月下の一群』だろうか。豪華な装本の書籍を「豪華版」と呼ぶが、これは第一書房社主・長谷川巳之吉の造語が一般化したものだという。

長谷川巳之吉は1893(明治26)年、新潟県生まれ。12歳のとき、高等小学校1年を終了して銀行の見習い給仕となり、以後、独学で出版人としての教養を身につける。大正5年、23歳のときに小出版社に就職し、編集者としての実力を磨き、大正12年に独立して第一書房を創立する。その後、苦しい経営状態にもかかわらず、豪華な造本の文学書・詩書を刊行しつづける。社の経営がようやく軌道に乗ったのは1935(昭和10)年、当時の大ベストセラー『大地』(パール・バック)を刊行した頃であったという。しかし、日本の戦時体制の暗雲が長谷川を間もなく覆いだす。昭和19年、出版社の統廃合が行われ、長谷川は第一書房を廃業し、神奈川県の鵠沼に隠遁する。そして、敗戦を迎えるが、二度と出版事業を行うことはしなかった。そんな彼に追い打ちをかけるように、昭和21年には公職追放となる。戦争中に、ヒットラーの『我が闘争』(昭和15年刊。合計36万9千部の売れ行きを示したという)など、時局の流れにのった出版物を刊行したことが原因であった。以後、1973(昭和48)年に亡くなるまでの30年間、いっさい公的な活動から身を引いた暮らしをつづけた。

戦前に、多分に高踏趣味的な、革装の書籍が流通していたとは、いまでは信じがたい出来事である。そして、実際にそのうちの一冊を手に取ってみれば、そのひとはさらに驚くにちがいない。だから、これらの第一書房の「豪華版」が続々と刊行されていた当時は、どんなにまばゆい存在であったろうか。その頃の記憶を懐かしみながら、本書で、池田圭氏は第一書房版の魅力を次のように的確に分析している。

「豪華版の方は表紙に羊皮、和洋紙、布クロース、壁紙をよく使われたが、本文の方にも局紙とか鳥の子、ワットマン、支那紙等で、中には一枚漉き(みみつき)とか、それに透かしを入れたもの、雲母刷の贅沢なものさえあった。挿画にも金箔刷りを加えた原色版、木版画まで使われたりした。
 装釘は今日眺めても洋風で如何にも西洋の本という感じがする。それでいて何処かに和風な味がある。しかしそれはあくまでも洋風な感覚で処理されている。(中略)
 昭和の初め頃から、活字、組版などが整然さを加える。インキの濃淡の度合いも程よくなって行った。それと同時に製本は徒に堅牢なだけではなく、特有の柔らかさを持ち、本を繙く人に爽快な感じを与えるように仕上げられている。よき印刷師と製本者と製函所に恵まれたことは幸いであった」(本書 p.158)。

わたしも偶然に金沢の古書店で、第一書房刊行の『エドガア・アラン・ポオ小説全集』第1巻(昭和6年刊)を購ったことがある。外箱はなく、背が少し汚損し、全ページに薄いシミがわずかに残っていたのだが、全体としてみればよく原型をとどめていると言えるだろう。これが、500円だった(すごい掘り出し物!)。

この書籍を眺めながら、池田氏の感想を敷衍してみよう。本文用紙は漉き目の残る和紙。楮(こうぞ)紙だろうか。時折ページの途中で小口(綴じられた背中側とは反対のページ外側の縁)に「みみつき」の縁がきれいに残して製本されている。「みみつき」とは製紙用語で、抄造後の紙の周囲の繊維が、(ちょうど鯛焼きの縁のように)不定形に粗密のまま残っていることをいう。ここを断裁しないまま残しておくと、手製の高級感が漂う。薄くて丈夫な和紙を使うことで、仕上がった本は見た目の束(厚さ)から想像するよりも軽くなる。重厚感のある皮装と、中身の軽やかな和紙の対比のセンスが、何とも言えず贅沢である。ポオ小説全集は、縦18x13cmの小型本なのだが、それでも天金(ホコリが払いやすくなるように、綴じた本の上部の断面にうすく金が塗られていること。)仕上げとなっている。要するに外観は「あくまで洋風な感覚で処理されている」のだ。

ページを開くと、本文組は上下と小口側に約3cmほどの余白がたっぷりと残されており、ここにも西洋の書籍組版のデザインをしっかりと研究したあとが見てとれる。本文用紙はうすいが、活版印刷の活字でほどよい濃度で印刷されている。ページによっては、多少の裏映りは見られるものの、読書の妨げになるほどではなく、印刷職人の細かな配慮が伺われてあたまが下がる。

製本はもちろん糸かがり綴じで、見た目だけではなく、その開きの良さも機能的で心地よい。現在の機械製本技術では不可能な仕事が、惜しみなく濃縮されている。本書は、初版1000部刊行で、定価2円50銭。刊行日は昭和6年9月17日で、満州事変勃発の前日である。ちまたには格安の「円本」ブームが起こっていたとき、これだけの本が2円50銭。当時としても、決して高価にすぎるとは思われないのだが。本造りに携わる人間なら、一度は第一書房の刊本を手にとってみることをお勧めしたい。必ず得るものがあるはずだ。

社主の長谷川巳之吉には、本業の出版を離れても、もうひとつの特筆すべき功績がある。それは昭和3年、彼が35歳のとき、神田古書街の一誠堂で、ドイツへ流失寸前だった岩佐又兵衛の絵巻物「山中常磐物語」の写真を見せられ、即座にそれを買い取ったことだ。彼は資金を捻出するため、その年に麹町一番町に落成したばかりの新社屋と家財すべてを抵当に入れたという。この長大な傑作絵巻物は、のちの昭和28年、救世箱根美術館(現・MOA美術館)に売却され、現在も同美術館に収蔵されている。昭和45年に日本美術史家の辻惟雄氏が、『奇想の系譜 又兵衛国芳』という現在も版を重ね続ける先駆的名著を刊行され、以来、又兵衛の存在は日本美術の歴史のなかでますますその重さを増している。本年2004年には千葉市美術館で岩佐又兵衛展が開催され、「山中常磐物語」絵巻を映像化した記録映画も公開されるという盛況ぶりであるが、長谷川巳之吉の捨て身の決断があればこその話だったのである。

by takahata: 2004.11.30

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第一書房_長谷川巳之吉_日本エディタースクール出版部

思想・芸術篇

01『プラトンに関する十一章』アラン
02『第一書房 長谷川巳之吉』
03『千利休』唐木順三
04『天使のおそれ』G. ベイトソン
05『英国のプラトン・ルネサンス』
          カッシーラー

06『ルネサンス 人と思想』清水純一
07『奇想の系譜』辻 惟雄
08『本の神話学』山口昌男
09『日本美術の流れ』源 豊宗
10『日本美術の表情』辻 惟雄
11『神々の再生』伊藤博明