BOOK GUIDE vol.I | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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宮脇愛子 1991年6月17日発行 岩波書店刊 180ページ 目次 アトリエのマン・レイ 好奇心は若さの秘訣 あとがき はじめてこの本を読んだとき、その文章の洒脱さに目をみはったわたしは、しばらくしてご本人にその驚きをお話しした。宮脇さんは、いまはすでに亡くなられたH氏という有名なジャーナリストの名前を挙げて、だってわたしはあの方に文章の書き方をおしえていただいたのですもの、と事もなげに言われた。その方の主宰する雑誌にコラムを書かれていたのである。文章のデッサン力の鍛えられ方が常人とは違う。だから、本書に描かれるさまざまな人々の姿は、一筆でさっと描かれていても、くっきりと立ち上がってくるのだろう。 1959年、瀧口修造氏の助言を受けて、単身、イタリアのミラノへ旅立った宮脇さんは、ヨーロッパの前衛美術のまっただ中に飛びこむ。さらに1962年、パリに移ると、ハンス・リヒターの紹介でマン・レイをはじめとするシュルレアリスムの巨匠たちと識りあうことになる。マン・レイ、リヒターやナウム・ガボとともに、「1962年の秋のパリのある街角で過ごした夕暮れの何時間かが、おぼろげながら、一人の人間にある非常に強い影響を与えた」。この「はじめもなく終りもない」と題されたエッセイの冒頭の一行は、宮脇愛子というひとりのアーティストの誕生を告げるものだ。 「ゆっくりと、人は、しばしば気づきもしないで、自分のわなに入ってしまうのだろうか。気づきはじめたとき、そのわなをとくことは、もう容易な業ではないのである。幼いときから、身体が虚弱であるという理由で、転地ばかりさせられていた私は、かなり早くから、旅立ちの意味はわかっているつもりでいた。しかしこのパリのカフェーでの夕暮れの何時間かは、私にもっとはっきりと「旅立ち」の意味を感じさせてくれたのである」(本書p.14)。 幼少期から死の影に覆われていた「旅立ち」の意味が、充実した生への予感へと転換した。以来、今日に至るまで、宮脇さんは世界各地を旅し、「それは何といったらいいか、あらぬものとでもよぶべき何か、オスカー・ワイルドのいう『すべてのものの背後にある、或るかくされたものの精』とでもいうべきなにかを、私は常に見ようとしてきた」(本書p.31)。タブロー、レリーフ、立体と、宮脇さんの作品はいつもかたちを変えつづけてきた。だから彼女を画家とも彫刻家とも呼ぶことはためらわれる。「あらぬもの」を追い求めるひとを何とよんだらいいのだろう? 結局、わたしはアーティストという言葉を選ぶしかない。しかし本来、アートという創造行為こそは、「あらぬもの」の探究にほかならないのではないだろうか。「あらぬもの」はやがて「うつろひ」という不思議に美しい作品群となって、世界中のひとたちを魅了するのだが、それは目で見るというよりは、心で観るほうがふさわしい作品なのだ。 宮脇さんは、パリで知りあった晩年のマン・レイ夫妻と親しくなり、家族同様の歓迎を受ける。その当時の思い出が綴られているのが、第二部の「アトリエのマン・レイ」。ある日、マン・レイは思い立ったように若き日の宮脇さんのポートレイトを撮影する。モナ・リザそっくりのポーズで撮られたそのポートレイトには、マン・レイが宮脇さんからどのようなインスピレーションを感じ取っていたかがうかがわれて興味深い。 本書には、現代美術史のなかに大きな足跡をしるしてきた芸術家が、宮脇さんの親しい友人として登場してくる。その贅沢な顔ぶれは圧倒的だ。パリのアトリエでくつろぐマン・レイとその妻ジュリエット。文学者では、日本に立ち寄ったときのユルスナール。料理上手のジャスパー・ジョーンズ。荒川修作の良きパートナーで詩人のマドリン・ギンズなどなど。出逢うこともまた、ひとつの稀なる才能なのだ。 by takahata: 2004.11.30 |
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