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喪われた本を求めて
BOOK GUIDE vol.I

品切れ本を中心とした書評ページです。

エッセイ・評論 思想・芸術 文学
ユルスナールの靴_須賀敦子

ユルスナールの靴

須賀敦子

1996年10月15日発行 河出書房新社刊 248ページ

目次
プロローグ
フランドルの海
一九二九年
砂漠を行くものたち
皇帝のあとを追って
木立のなかの神殿
黒い廃墟
死んだ子供の肖像
小さな白い家
あとがきのように

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする」。

ある日、古書店の棚に、出版されたばかりの『ユルスナールの靴』を見つけた。そのときのわたしにとって、ユルスナールは親しく敬愛する作家の名前ではあったが、著者の須賀さんは、名前だけは知っているものの、まだ作品を読んだことのないひとだった。ユルスナールについての評伝かしら、そう思って、最初のページを繰ると、この書き出しの数行に目を奪われた。

わたしがフランスで語学学校に通っていたときのことを思い出す。ある日、女性の教師がわたしたち異国の生徒に向かってこう問いかけたことがあった。「だれか、マルグリット・ユルスナールを知ってるひとはいる?」 ドイツ人のシュテファンもイタリア人のパオラも、だれも知らないようだった。わたしは当時まだ、ユルスナールの作品を一冊も読んだことはなかったのだけれど、手を挙げて、こう答えた。「名前は知っています」「どんな人?」「そう、小説家、女性で....初めてアカデミー・フランセーズの会員になった人でしょう」「あなたはどの作品を読んだのかしら? アドリアン? ルーヴル・オ・ノワール? それとも....」。普段はおとなしい感じのその女性教師が、めずらしく興奮した面持ちで、たちどころにいくつものユルスナール作品のタイトルを列挙するのに驚かされた。ひとりの東洋人が作家の名前を口にしたことに彼女は驚いたのだろうが、こちらも彼女のユルスナールにたいする心酔ぶりに意外の感をもった。  

それから十何年もたって、ようやくわたしは『黒の過程』(原題 L’Oeuvre au Noir)と『ハドリアヌス帝の回想』を読んだ。そして、感嘆した。これを書いた作家は、本当に女性なのだろうか? この重厚な文体、緻密な構想力、そして永遠の時の相の下では幾多の登場人物の生死など、取るに足りぬ瞬間の出来事に過ぎないというかのような、酷薄な叙事詩のごとき語り口。このような物語を書きあげた人物が、わたしたちと同じ時代に生きていたとは。フランス人女性教師の、あのときの崇拝にも似た話し方が、耳の底に甦ってくる気がした。

須賀さんの文章の語り口は、ユルスナールのそれとは対極にある、心優しい叙情的なものだ。文が人の真実の姿を映し出すとすれば、ふたりの距離はあまりに遠い。だからであろうか、須賀さんにとって「じっさいの作品を読んでみたい衝動はうごめいても、そこに到らないまま時間はすぎる。じぶんと本のあいだが、どうしても埋まらないのだ。マルグリット・ユルスナールという作家は、私にとって、まさにそういう人物のひとりだった」(本書p.30)。事実、須賀さんがユルスナールを読んだのは、本書執筆の十年ほどまえのことだったという。だが、彼女はすぐに気づいたのだ。ユルスナールは真の作家になるまでに、その足でヨーロッパ中を彷徨し、その手で遠い過去の古文書をめくり、その心は「著作しない著作家の絶望の中に追いこまれ」(ハドリアヌス帝の回想・覚え書きより)ていたことを。

『ハドリアヌス帝の回想』に付されたユルスナールの覚え書きのなかに、「霊魂の暗闇」(nuit de l'ame)という言葉を、須賀さんはある夜見つけて愕然とする。「もしかしたら、じぶんも、さいごまでなにもわからないで死ぬのかもしれない。そんな時に出会ったのが夫だった。なにも肩をはって闇などに対決することはなかったのだ、と軽薄にも信じこんでしまったそれにつづく夫との五年間。彼を襲った不意の死。それにつづいたあたらしい闇に、それまでは見えなかった虚像と実体のあいだに横たわる溝の深さを、私は教えられた。じぶんもそんな闇を通ったのだとユルスナールが語っているのは、当然とは思っても、やはり衝撃だった。私にとっては、揺るぎない自負と確信に満ちているはずの、あの偉大な『ハドリアヌス帝の回想』の作者が。意外さ、そして、むかし慣れ親しんだことばに出会ったなつかしさに、私は声をあげそうだった」。

こうして須賀さんは、ユルスナールの小説作品だけではなく、ユルスナール自身の生涯を一つの作品として読み解く作業に没頭し始める。須賀さん自身も、若き日からヨーロッパを歩き回り、さまざまな体験を重ねている。だから、あるときはひとつの言葉、あるときはひとつの場所、またひとつの年が触媒となって、ユルスナールの人生と須賀さんの人生が交差し、美しくも哀切な回想の織物が織りなされていく。須賀さんの筆致はあくまでも平明で気負いなく淡々としている。だが、全ヨーロッパの歴史と地理に通暁していなければ、博識なユルスナールの知性の痕跡をたどることなど不可能なのだ。その不可能が、やさしく透明な文体で現実のものとなっていることに、わたしたちは思いをよせなければならない。

亡くなられる少し前、都内のある場所で講演会が催され、須賀さんが出席されたことがある。投薬の副作用を隠すためなのだろうか、須賀さんはスーツ姿には似つかわしくない毛糸編みの帽子をかぶって、会場の壇上に現れた。書かれた文章のとおりのものやわらかな語り口、そして、病身にもかかわらずきらきらと元気に輝く眼差しが、いまも印象に残っている。あのとき、須賀さんはどんな靴を履いていただろう。それはようやく見つけられたお気に入りの靴だったのだろうか。

本書はその後、『須賀敦子全集』に収録された。

                          by takahata: 2004.11.30

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エッセイ・評論篇

01『先師先人』竹之内静雄
02『ユルスナールの靴』須賀敦子
03『四百字のデッサン』野見山暁治
04『はじめもなく終りもない』宮脇愛子
05『光る源氏の物語』大野晋・丸谷才一
06『歌の王朝』竹西寛子
07『メモワール・ア・巴里』村上香住子
08『復興期の精神』花田清輝
09『胡桃の中の世界』澁澤龍彦
10『椿説泰西浪曼派文学談義』由良君美
11『異端審問』ボルヘス
12『鏡のテオーリア』多田智満子
13『あぢさゐ供養頌』村松定孝