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失われた本を求めて
BOOK GUIDE vol.I

品切れ本を中心とした書評ページです。

エッセイ・評論 思想・芸術 文学
光る源氏の物語・上_大野晋・丸谷才一

光る源氏の物語 上下2巻

大野晋・丸谷才一

1989年9月7日発行 中央公論社刊 上巻362ページ・下巻432ページ

目次
源氏物語 全五十四帖順

先年、文庫本一冊に圧縮された超ダイジェスト版の田辺聖子訳『源氏物語』を偶然に古書店で手に入れ、数時間で読み終えた。いや、おもしろい(ちなみに、田辺さんは抱腹絶倒の源氏物語パロディー小説も書いている。恐るべし、聖子さん)。さてそこで、谷崎潤一郎訳にとりかかった。こちらは数カ月かけて読み終えたが、もっと若いうちに一度は読んでおくべきであったと後悔させられた。いまは新潮社版の日本古典集成8巻を揃えて、そろそろ読みはじめようかと思っている。

さて、コルクを貼りめぐらした部屋のなかで、サイドテーブルの灯りをたよりに、プルーストは『失われた時を求めて』を書き継いだ。わたしはこの『失われた時を求めて』こそ小説のベスト・ワンだと思っていたのだけれど、それよりも千年以上前に、一人の女性が極東の都で、ろうそくの灯りのもと、構想雄大な心理小説を完成させていた。それは世界史的な事件にほかならない。ちなみに、三島由紀夫は『豊饒の海』全4巻において、『失われた時を求めて』と『源氏物語』から着想を得た挿話を織りこんでいる。そうしたくなる気持ちはよくわかる。

ところで、汗牛充棟とはこのためにある言葉かと思われる、厖大な『源氏物語』解説書群のなかから数冊を選んで読み散らしたのだが、この『光る源氏の物語』は出色の出来映えだった。本書は、大野晋という天才国語学者と丸谷才一という奇才小説家兼批評家が、『源氏物語』のおもしろさを心ゆくまで語り味わい合った対談集である。原文の一言一句をゆるがせにせず、徹底的にテクストを解読する大野氏と、実作者ならではの想像力で「読み」を深める丸谷氏の、両者の丁々発止のやりとりから、読者は、古典作品を読む楽しさと恐ろしさを学び取ることができる。

教科書によく登場する「夕顔」を例に挙げよう。光源氏は、夕顔という花の名前で呼ばれる娘と一夜を楽しもうと、都の町なかにある家にその娘を連れ出すが、その娘は生霊に取り殺されてしまうという、あの有名な一段である。しかし、この帖には同時に、『源氏物語』の主要登場人物のひとりである六条御息所も登場する。ある日、光源氏は六条御息所と一夜をともにした後、夜の明けきらぬうちに侍女にうながされて家から送り出されようとする(それは平安朝の礼儀である)。その侍女は、源氏が思わず誘惑の歌を贈答するほど魅力的なのだが、侍女は絶世の貴公子の誘惑を才気走った返歌でするりとかわすと、お見送りなさいませと、女主人が隠れている几帳をずらす。ここからは本書よりの引用を読んでいただきたい。

大野 「霧のいと深き朝(あした) いたくそそのかされ給ひてねぶたげなるけしきにうち嘆きつつ出で給ふ」。つまり光源氏は眠たそうな顔で六条御息所のところから帰ろうとしました。この先のところ、「中将のおもと御格子一間(ひとま)上げて、「見たてまつり送り給え」とおぼしく御几帳ひきやりたれば」。そこ、どうですか。
丸谷 どうですかって.....。
大野 中将の御許は、六条御息所に向って御格子を一間上げて。
丸谷 見送りなさいと言って、几帳を横にずらしたんでしょう?
大野 なのに?
丸谷 「御髪もたげて見出だし給へり」というのは、起き上がっただけだと。
大野 そう。まだ、寝ているんですよ。これ、どういう意味ですか。
丸谷 ............
大野 つまり、六条御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、起きられないんですよ。
丸谷 あ、そうか、ぐったりしていた。うーむ。
大野 起きられないから、彼女は頭を上げるだけで源氏を見送ったというんです。それほどであったのに、源氏はまた中将にちゃんとこれだけ働きかけるバイタリティーを有するということが皮肉のように書いてある。
丸谷 おっしゃるとおりです。
大野 「御髪もたげて見出だし給へり」、これだけで作者はその一晩を全部表現した。こういうところが時々あるんですね。

付け加えておけば、愛執の深い六条御息所 ── 絶世の美女であり、しかも当代きっての才女として描かれる貴婦人 ── こそ、夕顔を取り殺した生霊の正体であった(ただ、このときはまだ彼女には生霊になったという自覚はない)。この六条御息所の生霊が嫉妬に悶えるさまを、女流画家・上村松園が描いたのが《炎》。以前、改装前の東京国立博物館で、この作品が展示されている場にたまたま出会わせたことがある。ひと気のまばらな展示室のなか、そこではだれもが立ち止まり、その鬼気迫る迫力に釘付けになっていた。また別室には、六条御息所と源氏の正妻・葵の上との有名な車争いの場面を描いた屏風絵が展示されていて、学芸員の気の利いたサービスに感謝したものだ。というのは、六条御息所はこの葵の上をもやはり生霊となって死に至らしめるからだ(このときは彼女にも自覚が芽生える。葵の上の快癒を祈祷するため焚かれた罌粟の香りが、遠く離れた彼女の体に染み着いていたのだ)。数百年の時を超えて、これら二つの絵画作品は源氏物語という宇宙の中で妖しく輝き、呼応し合う。源氏物語を知ることは、文学だけではなく、日本の諸芸術の裾野の広さを知ることにつながる。

さて、このように、本書にはいままで誰もなしえなかった「読み」が縦横無尽にはりめぐされている。『源氏物語』とは、光源氏という貴公子(あるいはその友人や息子)の恋愛物語集だから、数多の女性が恋の相手として登場して、さまざまなかたちの愛憎が生み出されていく。が、つきつめて言えば、男と女のはなしである。はたしてふたりの男女は交渉をもったのか否か、原文では巧妙にぼかされて描かれる一点を、大野天才と丸谷奇才は、「実事ありやなしや」と、執拗に解読しようと試みる。それは、なんと下世話なことをと、眉をひそめる方がおられるかもしれない。しかし......

丸谷 「源氏物語」のベッドシーンの場合には、そういう微妙さ、日本語の曖昧朦朧とした性格を極端に利用しているんですね。そうすることによって、ポルノ的なものにとかくつきまとう滑稽さ、醜悪さを愛する読者ならば、そっちのほうで取ってくれ、嫌いな人はそうでないほうで取ってくれ、という二重戦略みたいなものがありますね。
大野 低い層は低い層なりに受け止める。
丸谷 それが大文学ってものなんですね。いまの日本では、大文学というのは深刻なことを書くことだけと思われているでしょう。そうじゃないんです。大文学というのは多層的な読者を引き受けることのできる文学です。
大野 それだけ作者がちゃんと人間っていうものを掘り当てているところがあって、こういった人間にはこういうことが向くはずなんだ、こういった人のためにはちゃんとこういう用意がしてある。作者はそれだけのゆとりと幅とをもって書いているんですね。
丸谷 それを単に読者の数が多い、ということでとると間違ってしまう。大事なのは、読者の層が上から下までびっしりあるということです。

どうです。あなたも『源氏物語』を読んでから、『光る源氏の物語』が読みたくなつたでせう(丸谷調になってしまいました)。

本書はその後中公文庫に収録されたが、現在は品切れ中。

                          by takahata:2004.11.30

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光る源氏の物語・下_大野晋・丸谷才一

エッセイ・評論篇

01『先師先人』竹之内静雄
02『ユルスナールの靴』須賀敦子
03『四百字のデッサン』野見山暁治
04『はじめもなく終りもない』宮脇愛子
05『光る源氏の物語』大野晋・丸谷才一
06『歌の王朝』竹西寛子
07『メモワール・ア・巴里』村上香住子
08『復興期の精神』花田清輝
09『胡桃の中の世界』澁澤龍彦
10『椿説泰西浪曼派文学談義』由良君美
11『異端審問』ボルヘス
12『鏡のテオーリア』多田智満子
13『あぢさゐ供養頌』村松定孝