BOOK GUIDE vol.I | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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花田清輝 1946年10月5日発行 我観社刊 目次 レトリックという力わざ そもそも『復興期の精神』を手に取ったのは、それがルネサンス期をテーマにした精神史だと勘違いしたからだった。だが、本書が戦後に刊行されたとき、この本が戦後日本の復興について書かれたものと早合点して読んだという人も、実際、多くいたという。本書は、ルネサンス期の思想の概説書でもなければ、「再生・復興」のための希望の原理の書でもなかった。そして、自分が期待した内容とは大きくかけ離れたこの本を、それでも最後まで夢中になって読み進んだのは、想像もしていなかった文体=レトリックの卓抜さに魅了されてしまったからだ。なによりも、ことばの力の妙に徹底的に幻惑された。これが何十年も以前に本書を読んだときの体験だった。 『復興期の精神』と言えば、ひとはレトリックを口にする。たしかに、花田の修辞は高らかに勁い。たとえば、その一節を引いてみようか。 このあとにひとひねりした展開が待ち受けているのだが、本題から逸脱するのでこれ以上は引かない。ただ、このような言葉の変幻に、ただ目を奪われていては、著者の意図は見えてこないだろう。由良君美がいみじくも指摘したとおり、花田のレトリックとは、彼独自の論理と直感に裏打ちされた「わざ」なのだから。「花田清輝のレトリックが、もしも、語句における正統的修辞学ではなく、実は、意外な引用に次ぐ意外な引用の、つづれの錦であり、それを通底しようとする、途方もない、言葉と論理と直感の力技(ちからわざ)であったとしたら、どうであろう。」(由良君美「〈惨虐性〉と〈偽計〉─ 花田清輝の修辞」)。だから読者は、激しく渦巻き変化してやまない言葉の表層にとらわれることなく、表層下でぶつかりあう「海流」の混沌とした絡み合いを見失わないよう目をこらしている必要がある。 また、本書が名高いもうひとつの理由として、これらのほとんどの作品が、戦時下体制のなかで書き継がれ、雑誌に発表されていたという事実が常に挙げられる。官憲の検閲の目をレトリックによってくぐり抜けるという離れ技を演じた著作....。だが、ほんとうにそうだろうか。というのは、今回、本書を読み返してみたところ、ページの背後に潜む作者の沈鬱な眼差しがわたしを見据えていることに気づかされ、とまどってしまったからだ。こんな陰鬱な調子にこそ、検閲の目はごまかされたのかもしれない。 「ルネッサンスという言葉が、語源的には、フランス語の‘renaitre’からきており、〈再生〉を意味するということは、周知のとおりだ。したがって、我々はルネッサンスを、つねに生との関連において考えるように習慣づけられており、この言葉とともに、中世の闇のなかから浮びあがってきた、明るい、生命に満ちあふれた一世界の姿を心に描く。しかし、再生が再生であるかぎり、必然にそれは死を通過している筈であり、ルネッサンスの正体を把握するためには、我々は、これを死との関連においてもう一度見なおしてみる必要があるのではなかろうか」。 死と再生の楕円 つまり、再生するものの土壌にある「死」という混沌こそ、花田の主張する「転形期」にほかならない。そして、転形期が混沌であるならば、そこにはいくつもの焦点が無秩序に併存するだろう。そしてまた、生=死=再生というサイクルを形で表すとき、花田の脳裏には円=楕円=円という循環が描かれていたはずだ。複数の焦点を有する円。この楕円こそは花田の偏愛するイメージであり、転形期を象徴するものだ。ところで、楕円というかたちは、ルネサンス期よりもむしろバロック期を象徴する。さまざまな引用と発想の拮抗のなかで、綱渡り的な論理をたどろうとする花田のレトリカルな文体は、まさにバロック的だ。 「焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊なばあい、── すなわち、その短径と長径とがひとしいばあいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに一般的な存在であるともいえる。ギリシア人は単純な調和を愛したから、円をうつくしいと感じたでもあろうが、矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。ポーはその『楕円の肖像画』において、生きたまま死に、死んだまま生きている肖像画を示し、── まことにわが意を得たりというべきだが、それを楕円の額縁のなかにいれた」(「楕円幻想 ─ ヴィヨン」)。 この「楕円幻想 ─ ヴィヨン」の一篇は、戦時下に書き継がれた『復興期の精神』の諸作品のなかでは、いちばん最後の1943年に書かれており、以後の2年間、彼は数篇の評論しか発表できなくなる。実は、前年の1942年、日本のジャーナリズムでは「近代の超克」ということが叫ばれていた。それは明治維新の成功以後、近代化に邁進してきた日本国が、目標としていた欧米諸国と戦争に陥った時代の趨勢を整理し、今風に言うならば「ポストモダン」を模索する試みであった。この「近代の超克」というプロパガンダを隠れ蓑にしながら、花田は転形期という言葉で晦渋な近代批判、体制批判を試みていたのだった。しかし、戦時体制の激化とともに、言論の自由は加速度的に消滅していく。 「我々は、なお、楕円を描くことができるのだ。それは驢馬にはできない芸当であり、人間にだけ、── 誠実な人間にだけ、可能な仕事だ。しかも、描きあげられた楕円は、ほとんど、つねに、誠実の欠如という印象をあたえる。風刺だとか、韜晦だとか、グロテスクだとか、── 人びとは勝手なことをいう。誠実とは、円にだけあって、楕円にはないもののような気がしているのだ。いま、私は、立往生している。思うに、完全な楕円を描く絶好の機会であり、こういう得がたい機会をめぐんでくれた転形期にたいして、心から、私は感謝すべきであろう」。 花田清輝と小林秀雄、そして澁澤龍彦と林達夫 さて、この頃、花田はあるエッセイによって右翼を刺激し、袋だたきにされるという目にあった。そんな沈黙期の1944年、花田は「小林秀雄」という評論を発表している。昭和戦前期の文学青年の例にもれず、花田は7歳年上の小林から圧倒的な影響を受けている。付け加えておけば、花田という作家は、小林秀雄からは「達人」の文体を、13歳年長の林達夫からは「反語的精神」を摂取して成長してきた。 「小林は自己を語ったというのか。断じてかれは語りはしない。かれが自己を語ったとすれば、それは達人としてであり、批評家としてではない。批評家としてのかれの生涯は、たぶん、闇から闇に葬られて行くのにちがいない。申すまでもなく、私は、批評家というものを、厖大な理論の背後に、かがやいている眸をみいだすような人物ではなく、眸のひらめきにさえ厖大な理論を夢みるような人物だと考えているわけだが、そういう批評家は、所詮、この世では、余計者にすぎないであろうか」(「小林秀雄」/花田清輝全集第2巻には「太刀先の見切り」と題して収録。 1944年) 達人と批評家とは、円と楕円にたとえられるだろう。円は、厖大な理論の渦巻きの中心にかがやく眸をもっている。それは強力な求心力をそなえているが、楕円の特殊な一形態にすぎない。それは運動を休止した楕円なのだ。 蛇足ながら、もうひと言。花田や小林は引用の出典をいちいち明らかにしない。それはレトリックというペダントリーが、典拠の指示によって、みづからの流れを堰き止めてしまうからだ。あるいは、彼を書斎のなかで発言する人間として表現してしまうからだ。それを引き受けたのは花田の次の世代、澁澤龍彦であった。博覧強記ではなく、博引旁証。勢い、テーマはディテールのなかに分け入っていく。そして、神々はディテールに宿るという言葉を愛してやまなかったのは、林達夫である。 『復興期の精神』は、講談社学芸文庫に収められていたが、現在は品切れ中。 by takahata: 2005.01.30 |
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掲載写真は1966年9月10日発行の新版 講談社刊 |
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