BOOK GUIDE vol.I | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス 1982年5月30日発行 晶文社刊 344ページ 目次 コウルリッジの夢 ボルヘスはイギリス・ロマン派の諸作家を愛読していた。とくにコウルリッジがお気に入りの文学者だったようだ。本書にもコウルリッジの名前が冠された二篇の小品が収められている。それら「コウルリッジの花」と「コウルリッジの夢」は、ボルヘス好みの「夢」がテーマの名エッセイだ。 「コウルリッジの花」はヴァレリーの引用から始まる。「文学の歴史とは、個々の作家たちの偶発的な作品や出来事の寄せ集めであってはならない。それは、文学の生産者としての《精神》の歴史でなくてはならない」。この言葉のあとで、ボルヘスはさりげなく、「《精神》がこのような意見を述べたのはこれが初めてではない」と、付け加える。ここで唐突に《精神》と名指された主語こそ、ボルヘスが終生追い求めつづけた時間と空間を超えて存在する《何者か》であり、本書『異端審問』という変奏曲集の主題なのだ。 1797年の夏、ときに25歳の詩人コウルリッジは体調を崩し、とある田舎家に引きこもった暮らしをしていた。ある日、気分がすぐれなかったので、鎮痛剤として阿片を服用したが、椅子に座ったまま眠りこんでしまった。かれは眠りに落ちるまえ、『パーチャス廻国記』という17世紀に編纂された旅行記の一節を読んでいた。 13世紀の元の皇帝クビライ・カーン(日本では元寇で名高い)が、王宮を造営する情景の描写がそこにはあった。3時間後にコウルリッジは目を醒ましたが、その間にみた夢のなかで、イメージも鮮やかな二、三百行の詩を作り上げていたことを、はっきりと覚えていた。さっそくコウルリッジはその詩を書き留め始める。それが今に残っている〈クーブラ・カーン〉という詩の断章だ。しかし、間のわるいことに不意の来客があった。一時間ほどして客が帰ったあと、かれは詩のつづきを書こうとして、愕然とする。夢の記憶は川面から消えていく波紋のように、あとかたもなく消え去っていたのだった。 コウルリッジが夢の顛末を1816年に公表してから20年後、『世界総合史』というペルシア文学が、初めて西洋の言語に翻訳されパリで刊行された。それは14世紀にラシード・ウッディーンが著した本だった。その中に次の一行がある ── 「クビライは夢に見て記憶にとどめた設計図に従い、上都の東に王宮を造営した」。 つまり、18世紀に英国詩人の見た夢は、蒙古皇帝の宮殿にまつわる詩として結晶して現実界に残されたが、そもそも蒙古皇帝が当の宮殿を13世紀に建てたのは、やはり夢がきっかけだったからだというのだ。そして、コウルリッジがこの事実を知っていた可能性はまず考えられない。ボルヘスは、あたかもチェスタートンの創造した探偵物語の主人公ゲイルのような語り口で、ふたつの《夢》という操作の類似性から、それらを実行するひとつの主体(前章の言葉で言うと《精神》)を幻視し、こう推理を続ける。 ボルヘスはこうして、第三の夢をも予言する。最初に選ばれた人間は夢から宮殿の幻を授けられ、それを建てた。二番目に選ばれた人間は、その宮殿の詩を授けられた。計画が失敗におわらないとすれば、いまから数世紀のちに〈クーブラ・カーン〉を読んで、ある夜、大理石像か音楽を夢見る者が現れるだろう。 〈夢〉もまた夢みる さて、コウルリッジの〈クーブラ・カーン〉については、わが国の英国ロマン派文学研究者の故・由良君美氏と故・高橋康也氏がそれぞれに秀逸卓抜な「読み」を短いエッセイに遺している。前者は『椿説泰西浪漫派文学談義』所収の「ヘルマフロディトスの詩学」、後者は『エクスタシーの系譜』所収の「夜と昼の結婚」だ。 「ぼくの思想がこれほどの高み(詩『この菩提樹の木陰をわが牢獄として』を書きあげた想像力の勝利をさす)にまで高揚され精神化されるのは、実に滅多にないことなのだ。むしろぼくは婆羅門(バラモン0的信条にくみすることが多い。......ぼくの願いは、ヒンドゥ教のヴィシヌ神のごとく、蓮のうてなに揺られて果てしなき海原をたゆたい、百万年目に眼をさますこと、それももう百万年眠るのだと確認するためにだけほんの二、三分眼をさますことだ」(Letter to Thelwall, 4 Oct. 1797)。 コウルリッジが〈クーブラ・カーン〉を夢で授かる一年前に書かれた書簡の一節だ。奇妙な連想かもしれないが、この願望はボルヘスの想定する《精神》=超人的実行者それ自身のせりふのようにも聞こえないだろうか? もう一度、ボルヘスの言葉をここで繰り返しておこう。 ともあれ、コウルリッジの言葉から、ボルヘスの推理に新たな状況証拠を付け加えることができよう。つまり、1798年に、イデア界のひとつの《精神》が、百万年の眠りにはさまれた数分間だけ覚醒したのだ。その覚醒が、現実界では反転して睡眠中の夢となって現れ、コウルリッジに〈クーブラ・カーン〉を授けたとしたら....。あるいは、コウルリッジは夢を見たが、百万年ごとに数分だけ覚醒する《精神》になった夢だったとしたら....。荘子の胡蝶の夢ではないが、夢を見ているのは誰なのだろう? あるいは、夢見ているコウルリッジを夢見ているコウルリッジは.....、この入れ子構造を、ボルヘスならなんと解釈するだろうか。 ある対談のなかで、書物の世界で起こる偶然の一致に惹きつけられる性癖を、ボルヘスは次のように語っている。 バーギン 「実在は対称(シンメトリー)を愛好する」とおっしゃったことがありますね。 碩学クルティウスも『読書日記』という小著のなかで、同じような感慨を述べていたような覚えがある。ともあれ、たまに読み返すたびになにがしかの新しいヒントを、このボルヘスのエッセイ集は与えてくれる。また最後の一章は、ボルヘスの時間にたいするオブセッションを、詩人らしい文章で手早く素描していて忘れがたい。特に以下に掲げる最後の一節は、小説作品では巧妙に隠蔽されているボルヘスの諦念が滲み出てはいないか。 「しかし、しかし ── 時間の連続を否定し、自我を否定し、天文学の宇宙を否定することは、あからさまな絶望とひそやかな慰めである。スウェーデンボリの地獄やチベット神話の地獄と違って、われわれの運命はその非現実性ゆえに恐ろしいのではない。不可逆不変であるがゆえに恐ろしいのだ。時間はわたしを作りなしてい材料である。時間はわたしを運び去る川であるが、川はわたしだ。時間はわたしを殺す虎であるが、虎はわたしだ。時間はわたしを滅ぼす火であるが、火はわたしだ。不幸なことに世界は現実であり、不幸なことにわたしはボルヘスである。」 by takahata: 2005.04.07 |
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『夢の本』ボルヘス 国書刊行会刊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『ボルヘスとの対話』リチャード・バーギン 晶文社刊 |
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