BOOK GUIDE vol.III | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス 篠田一士訳 1975年4月30日発行 集英社刊 238ページ 第一部 八岐の園(1941年) トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス 本書に収められた諸短編のなかから、「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」について書いてみよう。ボルヘス自身が、自分の書いたもののなかで最もよい物語の一つと語る短編である。 ボルヘスの初期の作品には作家自身が登場するものが多い。本作もボルヘスの体験として語られていくのだが、とりあえず、表題となっている耳慣れない言葉の説明から入っていくことにしよう。 トレーン[tlön]とは、アングロ・アメリカン百科辞典の第46巻に記述のあるウクバール[Uqbar]という国の一地方の名前である。しかし、友人カサーレスの言及によってボルヘスの関心を惹いたこのウクバールという国は、カサーレスが所有するアングロ・アメリカン百科辞典の第46巻のみに記述があるだけで、他の46巻には見あたらないことがすぐに判明した。それどころか、ボルヘスが図書館で古今東西の地図、年鑑、旅行記をくまなく捜索しても、ウクバールについての記述は一切見つからなかった。そんな奇妙な一冊の百科辞典の出現から、この驚くべき物語は始まる。 数年ののち、ボルヘスはまたもやトレーンの痕跡に遭遇する。ボルヘスの父にはハーバート・アッシュというイギリス人の友人があった。かれの死後、語り手ボルヘスはアッシュ宛に届いた郵便小包を開封する。それは一冊の本であり、千一ページあった。書名は『トレーンについての最初の百科辞典第11巻 Haer-Jangr』であり、最初のページを覆っている薄様紙には「オルビス・テルティウス」[Orbis Tertius]という記銘入りの青い楕円形のスタンプが捺してあったのだ。その本は英語で書かれており、それによればトレーンとは、カサーレスの奇妙な百科辞典に書かれていたウクバール国の一地方などではなく、誰も知るもののいない未知の天体の名称であることが判明した。そして、トレーンという場所を考え出したのは「一人のかくれた天才によって率いられた天文学者、生物学者、技術者、哲学者、詩人、化学者....の作品だと」推定された。 このあと、天才たちの集団が創造したトレーンという壮大な「反世界」の哲学や言語の成り立ちが延々と解説される。それはボルヘスが若年の頃から傾倒していたイギリス観念論の思想家たち、バークリーやヒュームの思想を下敷きに、ボルヘスなりに潤色し想像力豊かに織り上げた観念のアラベスクである。これらの記述のなかには、その後のボルヘス的世界のすべてが萌芽していると言っても過言ではないだろう。そして、観念論哲学の恣意的な焼き直しに堕ちることなく、独自の綺想を織り交ぜていくところにボルヘスのオリジナリティーはある。たとえば、次のような記述があって、この物語は意外な方向へ発展していく。 トレーンは唯心論者の世界であり、時間的であって空間的ではない。その言語には「名詞」がない。そのかわりに、たとえば、「昇る陽の色と遠い鳥の叫び」のように、視覚的と聴覚的の二つの言い方で形成される事物がある。だれも名詞の実在性を信じないことが、逆説的にその「表現される事物」の数を無限にふやしている。そして、何世紀にもわたり、観念論は現実に対しても確実に影響をおよぼしてきた。トレーンの非常に古い地域では、なくなった物が複写されて出現することは珍しくない。その第二の物質はフレーニール[hrönir]と呼ばれる。 このあと、物語は「追記」という形で最終章を迎える。 1941年、ハーバート・アッシュのかたみの本の中で、ある手紙が発見された。それがトレーンの秘密を明らかにした。17世紀初頭にある秘密結社(ジョージ・バークリーも所属していた)がひとつの国を創造することを決めた。しかしその作業が一世代では成し遂げられないことが判明したので、彼らは各々の仕事を弟子に継がせた。1824年、アメリカの大富豪エズラ・バックレイ(これは完全にバークリーのもじりですね)は、その計画を知り、資金提供をする条件として、一つの国ではなく、一つの天体の創造を申し出た。そして、その組織的な百科辞典を書くように提案した。1914年、結社はその協力者約三百人にトレーンの第一百科辞典の最終巻を配布した。その全40巻は別の版の基礎になる予定で、その改訂版はかりに「オルビス・テルティウス」と呼ばれ、ハーバート・アッシュはその書き手のひとりであった。その後、トレーンの物質が徐々にわれわれの世界に現れ始める。1944年にはトレーンの第一百科辞典の40巻もメンフィス図書館で公に発見された。現実の世界の歴史はやがてトレーンの歴史に取って代わられるだろう。すべての言語はトレーンの言語によって消滅していくだろう。ここで、この物語は終わる。 存在するとは知覚されること フレニールという物質のヒントをボルヘスはどこから得ているのだろう。おそらくかれは、バークリーの「存在するとは知覚されること」(Esse est percipi)という命題をさかさまにしてみせたのではないか。つまり、知覚されてしまったものは存在し始める、ということだ。さらにヒュームの思想を援用して、ボルヘスは「知覚する」主体を抹殺してしまう。かれ自身の言葉で言えばこうなる。「ヒュームが現れて、ロックとバークリーの仮説に反駁を加え、魂と肉体を否定してしまう。魂とは、知覚するなにものかにほかならず、物質とは、知覚されたなにものかにほかならないという考えをうちだす。もしこの世界から名詞が排除されたら、あとには動詞しか残らない。そうなると、ヒュームが言っているように、もはや「我思う」という言い方はできない。なぜなら、「我」というのは主語だからである。(略)「我」というのはある実体を仮定させるが、われわれにはそのような実体を仮定することができない。したがって、この場合は、「考えられる、ゆえになにかが存在する」と言わなければならない」 (『ボルヘス、オラル』p.47─不死性) しかも知覚(自覚)される対象は、空間のなかの物体ではなく、時間のなかの精神現象だけで構わないのだ。 「わたしはあの天体の人びとが、空間でなく時間の連続としてのみ展開するような精神的プロセスの連続として、宇宙を認識していることに気づいた」 つまり、ある歴史が措定されれば、それは一挙に連続的時間として現実化される、ということになる。そして「観念の物質化」という一見、奇矯な言い回しも、書物という存在を思い浮かべれば、むしろ平凡な事実のように思えないだろうか。そしてそこに記述されている世界が徹底的な想像力の産物だとしても、それが完璧な世界を構築しているとすれば、それを知覚する媒介となる「書物」という存在は、異世界の物象化の突破口へと変貌する。この物語の始まりのように。 最後に、蛇足的なひと言を。現実世界が別の観念世界によって浸食され消滅していくということは、この物語を執筆していた当時のボルヘスの強い願いでもあった。『ボルヘスとわたし』に収録されている「自伝風エッセー」に、当時の社会から疎外され困窮した作家の様子が淡々と描かれていて、読む者の胸に迫る。ボルヘスは最低限の生活収入を得るためにブエノスアイレスの場末の市立図書館に職を得ていたことがある。 「わたしは約九年間、この図書館で我慢した。濃厚な不幸の九年間であった。仕事中職員たちはサッカーや競馬の話にかまけ、そうでなければ、猥談に興じていた。(略)皮肉なことに、そのころわたしは、図書館以外では、かなり有名な作家になっていたのだ。同僚の一人が、百科辞典の中にホルヘ・ルイス・ボルヘスという名前をみつけ、その生年月日までわたしと同じであるのを不思議がっていたことを思い出す。われわれ市職員は時々、特別報酬として二ポンド入りのマテ茶の包みを与えられた。それを手にして、市街電車まで十丁ほどの日暮れの道を歩いていると、わたしの目に涙が溢れた。こういうささやかな贈物が、いつも自分の惨めな、卑屈な存在を確認させたからである」(「自伝風エッセー」)。 by takahata: 2005.07.17 |
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