BOOK GUIDE vol.III | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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ジュリアン・グラック/小佐井伸二訳 1970年7月25日発行 筑摩書房刊 262ページ 1960年代末ころから、大手出版社がいっせいに海外文学の翻訳を刊行し始めた。それまで、海外文学と言えば、岩波文庫や新潮文庫などの評価の定まった古典作品が主流だったが、このころになると、日本にまだ未紹介の海外作家の作品が矢継ぎ早に翻訳される。白水社の「現代の世界文学」シリーズや河出書房新社の「モダン・クラシックス」シリーズなどが多くの点数を刊行した。そんななかで、刊行点数は少なかったが、作品のチョイスで質の高かったのが、筑摩書房のシリーズ。ただ、その高尚さが災いしたのか、売れ行きが芳しくはなかったらしい。多くは少部数の初版を売り尽くすと絶版になってしまった。数年もたつと、当時ですらもはや古書店でもめったに見かけることはなくなった。なかでも、この『陰鬱な美青年』は人気が高かった。集英社から刊行されていた『シルトの岸辺』によって、人気が定着していたからだろう。 しかし、晦渋な文体の作家だ、グラックは。テーマよりもスタイルが命の作家の作品を、異なる言語に翻訳するということは、ほとんど無謀な仕儀と言うしかない。けれど、そのような無茶な挑戦から、日本語は新しい広がりを獲得していくのだし、一概に原文至上主義を唱えるわけにもいくまい。だが、やはり、本書の訳者・小佐井氏は少々この翻訳に手こずっているように見受けられる。少なくとも、『シルトの岸辺』における安藤元雄氏の訳業と比較するならば。 原題は「Un beau ténébreux」。ténébreux(テネブル)という語は、暗い、闇の、陰気な、といった意味の形容詞だが、ネルヴァルのあの有名な「廃嫡者」という詩の一行が、グラックの脳裏には当然あっただろう。 Je suis le ténébreux, - le veuf, - l'inconsolé, また、西洋古楽に関心のある方は、「ルソン・ド・テネブル」という楽曲の名前をご存じだろう。そして、テネブルという言葉の響きから、修道院の静謐な宗教的暗闇をただちに連想されるだろう。ちなみに、この曲を歌う若き日のジェラール・レーヌは、本書の主人公・アランのイメージにぴったりだとわたしは思うのだが。 グラックは寡作であるが、「物語る」ことの巧みさが一作ごとに上達してきた。1938年のデビュー作『アルゴールの城』は、散文詩が長編小説の枠組に凝縮されたような濃密な文体で書かれており、通常の小説的な面白さを期待する読者には、むしろ手に負えない作品だ。次に発表された本書『陰鬱な美青年』(1945年)は、比喩を多用する詩的文体を受け継いでいるものの、登場人物の数が増えて物語としての読みやすさが備わってくる。そして、1951年に発表された『シルトの岸辺』は物語としての構想が雄大になり、一般の読者にもなじみやすい作品になっている。そして、小説作家としての円熟味は、さらに第4作目の『森のバルコニー』(1958年)で優れたかたちで進化していく。だから反対に言えば、『シルトの岸辺』の面白さを予期して『陰鬱な美青年』にさかのぼる読者は、期待に反するものを見いだすかもしれない。わたしなどには好ましい作品なのだが。 本書は、ジェラールというランボー研究家の青年の日記というかたちで物語が展開していく。彼はヴァカンスを過ごすべく、海辺にあるホテル・デ・ヴァーグに逗留している。客の中にはクリステルという神秘的な魅力の美女もおり、ジェラールの関心を惹いている。ある日、ホテルで知りあったグレゴリーという男が、もし、ジェラールが早めに滞在を切りあげるつもりなら、その空いた部屋を彼の友人、アランのために予約したいと申し出る。しかし、ジェラールは到着したアランとその連れの美女ドロレスに激しく興味を惹きつけられ、引きつづきホテルに留まることを決意する。ジェラールはアランのことでグレゴリーを質問攻めにするが、グレゴリーは忽然とホテルから去っていく、ジェラールに置き手紙を残して。「しかし、私は、告白するが、怖いから発つのだ。......かくも魅力的な、かくも移り気な、かつまたたぶん隠れた危険にかくもさらされているあの男の保護をある仕方であなたに託そうと考えたのだ」。 やがて、アランという美青年の謎が、その本質を決して名指されることなく、徐々に露わにされていく。アランという人物の正体を、周囲の登場人物はやがて明敏に察知するが、それをだれも口にできない。アランの虜になってしまったクリステルは、ジェラールにこう問いかける。「アランとは誰なのですか? お答えに期待していますのは、おわかりのように、描写ではありません。分析ではありません。わたくしにはこう思えるのです。── それはばかげているでしょう、気違いじみているでしょう、が、わたくしは無理にでも注文をいたします── すなわち、この質問にひとはただのひとことで答えられるはずである、と」。 グラックの作品は、一貫してパリのジョゼ・コルティ書店から刊行されている。社主だった故ジョゼ・コルティには『支離滅裂な回想』(Souvenirs désordonnés)という興味深い出版回想録があり、グラックについてもページが割かれている。デビュー作となった『アルゴールの城』は最初、ガリマールに持ちこまれたが拒否され、シュルレアリスム系の小出版社ジョゼ・コルティに持ちこまれた。無名作家の原稿を一読したコルティは、その完成度の高さに熱狂したが、出版したくても資金がなかった。そこで、彼は意を決して、グラックに出版費用の半分以上を肩代わりしてくれるように申し込む。グラックはただちにそれを受け入れ、こうして作家と出版者との関係が始まったという。 最後に、この『陰鬱な美青年』が、ひとりの日本の詩人にインスピレーションを与えたのではないかと思われる例を挙げておく。吉岡実が1974年に描きあげた「異霊祭」という詩だ。確証はないが、語の選び方から察するに、わたしにはそんな気がしてならない。それに吉岡氏は当時、筑摩書房に勤務していたのだから、本書を手に取ったことも充分にありえるだろう。では、この「異霊祭」から第1節を引用してみよう(この詩は吉岡氏の代表作『サフラン摘み』に収録されている)。 朝は砂袋に見える by takahata: 2004.11.30 |
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『陰鬱な美青年』原書。1945年、パリ、ジョゼ・コルティ刊 |
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『支離滅裂な回想』ジョゼ・コルティ Souvenirs désordonnés |
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『サフラン摘み』吉岡実 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||