BOOK GUIDE vol.III | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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室生犀星 1959年10月5日発行 新潮社刊 216ページ 目次 室生犀星(むろう・さいせい)という作家の名前もだんだんと聞かれなくなった。しかし、次の詩の一節ならば、だれもがどこかで聞いた覚えがあるのではないだろうか。 ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたうもの/よしや/うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや..... 犀星が故郷・金沢をうたった作品だ。最初、詩人として出発した犀星は、徐々に小説を発表するようになり、大正中期から昭和戦前期にかけ、流行作家として文壇的な地位を確立した。しかし、戦争により作品発表の道が閉ざされると長い沈黙の期間に入る。彼が復活したのは1955(昭和30)年になってからであった。その復活は休火山が突然に生きかえったような勢いを見せ、『杏っ子』『我が愛する詩人の伝記』『かげろふの日記遺文』といった名作が矢継ぎ早に発表される。さて、本書『蜜のあはれ』は、すべてを書き尽くしたはずの犀星が、これらの三大傑作の後になおも書き遺した小品である。それは彼の死の3年前のことであった。 日本初のシュールレアリスム小説 わたしがこの作品を知ったのは、犀星の復活後の諸作を高く評価した文芸評論家・奥野健男の紹介文を読んだからだったと記憶している。そこで奥野は本書を「日本で初めて生まれたシュールレアリスム小説」と呼んでいた。文体においても着想においても、その指摘は的を得ている。なぜなら『蜜のあはれ』は全編が会話体のみで書かれており、地の文章はいっさいないからだ。そして、主人公のうちのひとりは老作家の上山で、もうひとりは自分を「あたい」と呼ぶ若い女性なのだが、実はこの「あたい」、上山が飼っている金魚なのだ。左上の本書の箱の図版を見てほしい。モデルとなった金魚が死んだとき、装幀家の栃折久美子がとった魚拓が中央に配され印刷してある。 「あたい」は、ふだんは庭の池の中で泳いでいるが、気が向くと二十歳くらいの美しい女性の姿に変身して外出したりする。普通の人間には彼女の正体がわからず、どこかの令嬢としか見えない。「あたい」は飼い主の老作家を「をぢさま」と呼び、とめどないおしゃべりをする。をぢさまの愛人になってあげるから、月々のお手当てとして5万円ちょうだいと駆け引きしてみたり、なかなかコケティッシュな魅力の持ち主だ。ただ、ずっと人間に変身しているわけではなく、をぢさまと戯れるときは金魚にもどって、お腹や背中のうえをちょろちょろと泳ぎながら、をぢさまをくすぐって遊ぶ。かなりきわどいエロチックな会話をかわしながら。 ストーリーが会話だけで運ばれるものだから、場面転換の説明がない。それがなんとも融通無碍な感覚を読者に与える。いままで若い女性だったはずが、気がつくと金魚になってめだかを囓っていたり、あるいは金魚のまま庭の木々の間をふわふわ飛んできえてしまったりと、犀星のペンはあり得ない光景を自在に淡々と描き出していく。けれども、実験的な小説を書いてみようなどという気負いは一切感じられない。70年間の苦労に満ちた生涯の末にたどりついた枯淡の境地を、金魚というちっぽけな存在に声低く語りかけていく。犀星の分身である老作家の目は、すでにこの世ならぬ世界を見つめているかのようだ。そうかと思えば、金魚の変身は金魚屋さんだけには通用しない。その金魚屋のおじいさんのせりふがおかしい。「おう、三歳っ子、あれがおめえのだんなかい、うまくやったな、よぼよぼは直ぐかたがつくから、しこたま貰つとくがいいぜ」。リアルなところは妙にリアルで苦笑させられてしまう。 さて、犀星の見つめているこの世ならぬ世界が、そろりそろりと物語に入りこんでくる。金魚屋のおじいさんとの現実的な再会の後、「あたい」はをぢさまの講演会を見に行き、そこで気分を悪くした田村ゆり子という「をばさま」を介抱する。帰宅してからその話を聞かされたをぢさまは、顔色を失う。その女性は昔の知り合いだったが、すでに死んでいるはずだったからだ。その後もこの女性の幽霊はおぢさまのそばに現れるが、「あたい」がどんなに再会を勧めても、面と向かっておぢさまと会おうとはしない。そのたびに本物の幽霊と金魚のお化けの、そしてそれは女性同士なのだが、現実離れしたおしゃべりが奇妙な饒舌さで物語られていく。 犀星と芥川龍之介 中村真一郎は『火の山の物語』という著書のなかで、犀星と芥川龍之介との交友について書いている。ふたりは対極的な人間だった。犀星は野生人であり、すべてを独学で学んだ田舎者である。一方の龍之介は洗練された都会人であり、博識と高雅な趣味の持ち主であった。そんな二人が互いに惹かれあったのは、犀星としては、都会人・龍之介の洒脱な機知や文学的教養に否応なく魅せられたからであろうし、「東京下町人独特の周囲に気兼ねばかりして生きていた芥川は、卒然として故郷を捨て〈ふるさとは遠きにありて思ふもの〉と歌う、おのれひとりの意志に従って敢然と行動する犀星に、羨望を感じたのだったろう」(『火の山の物語』p.52)。そして、「この強情な田舎者の尋常でない強靱さは、芥川の周囲に群がった多くの若い文学者のほとんどが、芥川のまえに光彩を失い、自信を喪失して消えていったのに、断乎として犀星自身であることをやめないばかりか、芥川を対極物として意識しながら、鮮明な自己表現をとげて行ったのである」(同書)。 犀星という人は、私生児としてこの世に生を享け、経済的にも恵まれず、容姿には深い劣等感を抱き続けた。そんな劣等感のかたまりのような人物が、どうして作家として立ち、作家としての人生を全うできたか。それは、犀星の内面に燃え続けた「詩心」によるものだったのではないだろうか。萩原朔太郎を詩友として惹きつけ、堀辰雄や中野重治に師と仰がれた犀星の「詩心」。これらの交友のあった文学者と比べると、確かに彼は西欧的教養とは縁が薄かったが、それ以上に生まれながらの野生の「詩心」を燃やし続けることができた希有の文人だったのだろう。そして、老いてもなお消えることのない業火のごとき詩の炎が、とうとう赤い金魚となって犀星の原稿用紙から揺らめき立った、あるいは、無意識という底の知れない水の中に生涯かけて泳ぎつづけていた何かが、金魚という現身をまとって原稿用紙という水面まで浮上してきた ── それが、犀星にとっての『蜜のあはれ』だったのだろう。 同書は現在、講談社文芸文庫で入手できる。オリジナル本は本文用紙が漉き目入りで、現在から見れば贅沢なこと限りない。探し求める価値がある。 by takahata: 2005.01.23 |
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『火の山の物語』中村真一郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||