BOOK GUIDE vol.III | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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ホルヘ・ルイス・ボルヘス 土岐恒二訳 1968年3月15日発行 白水社刊 266ページ 目次 北園克衛の装丁がいまなお新鮮な「新しい世界の短編」シリーズ中の一冊にして『伝奇集』と並ぶボルヘスの二大短編集のひとつ。ここでは最初の一篇「不死の人」と最後の一篇「アレフ」をとりあげてみよう。 時間と永遠 「不死の人」は、不死の川の水を飲んだため、幾世紀も生き続けた男の回想手記という形式で語られる。英国の詩人ポープが編纂した『イリアッド』6巻本の最終巻に、その回想録は挟まれていた....。かれは時間を超えて世界各地を彷徨し、いつの頃からかは己れが何者であるのかも忘れ果て、それでも死ぬことが許されないまま、地上をさまよいつづける。しかし、1921年10月4日、エリトリア海岸に下船したかれは、かつてローマ時代に軍団司令官であった頃、この港町に立ち寄ったことを思い出し、その郊外にきれいな川が流れていたのをなつかしんで、その清流を飲みに行く。だがその流れこそは、かれが永いあいだ探し求めていた「不死性をぬぐい消してくれる水」だった。こうしてかれはそれから8年後にこの世を去る。かれの、自分でも忘れ去っていた名は、ホメロス。 ボルヘスの書いた物語の中ではいちばん長く、有名と思われる一篇。ボルヘスがさまざまなかたちで紡ぎ出す物語の原型のような作品だ。永遠、無限、迷宮、そして書物....すべてのボルヘジアン的テーマが盛り込まれている。 ボルヘスの短編小説には、着想の奇抜さもさることながら、その奇抜さに現実味を与えるための、一種の曖昧さが仕掛けられている。それは意識的にも、そして無意識的にも周到に張り巡らされた罠のようだ。たとえば、ボルヘスの超人的な博識は、虚実をない交ぜにした書名の引用を自由自在に行う。読者の理解度など、はなから度外視されている。ただ、該博な引用の過剰さは、真実味よりもかえってフィクショナルな虚無感をさえただよわせる。そのために読者は、行き場所を徐々に見失うかのような不安感を虚実のはざまで覚えることにもなる。それが、ある意味では、ボルヘスの短編の醍醐味なのだろうけれども。 空間と無限 さて「不死の人」が時間と永遠を主題とするのに対し、「アレフ」は空間と無限を取り扱う。 ボルヘスの目論見は、わたしたちの生きる有限の世界に無限を現出させることにある。文学であれ絵画であれ、およそ芸術活動に携わるものはすべて、表現行為の結果として、そのような永遠や無限の感覚・感動をもたらそうと努めているはずだ。ところが、ボルヘスは表現行為の素材として、無限の感覚を操作する。「時を忘れて感動する」ときに、ひとは永遠の感覚につながるが、「感動を交えずに時を忘れる」とき、ひとは何を観ずるのか ── ここからボルヘス的世界の秘密が開闢する。 唐突のようだが、無限を封じ込めた球体「アレフ」のことを思うとき、わたしはいつも「トマソン芸術家」赤瀬川原平の傑作《宇宙の缶詰》のことを思わずにはいられない。缶詰の中に何かを閉じこめるのではなく、中空の缶詰の内側に中身を示すラベルを貼って、蓋を閉めると、どうなるか。缶詰の外側に、全宇宙を閉じこめたことにならないだろうか。これが《宇宙の缶詰》だ。アレフのネガのような、または虚数のような無限もあるではないか。 あわ雪の中に顕(た)ちたる三千大千世界(みちおほち)またその中に沫(あわ)雪ぞ降る ボルヘスの憧れた仏道における不死の人・良寛、かれのアレフは、ひとひらのあわ雪であったようだ。 by takahata: 2005.04.12 |
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