BOOK GUIDE vol.III | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品切れ本を中心とした書評ページです。 |
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谷崎潤一郎 1962年5月28日発行 中央公論社刊 242ページ 瘋癲は「ふうてん」と読む。新明解の語釈を見ると、「1)錯乱や感情の激発などのはなはだしい精神病(の人) 2)家出をして、奇抜な服装をしたり、シンナー遊びなどにふけって、世間の視聴を集めたりなどした若者たち」とある。いつもながら懇切丁寧な解釈を与えてくれる辞書だ。ちなみに2の語釈は1970年代に「フーテン」が流行語になったときの意味。本書『瘋癲老人日記』は、著者が76歳のときに刊行され、それから3年後の1965年に谷崎は他界する。 とにかく天下の奇書である。足フェチ文学の最高峰である。靴フェチのルイス・ブニュエルあたりが翻案・映画化していたら、どうなっただろう? と、そんなことはどうでもよいが.... ストーリーは、主人公の卯木(うつき)督助という77歳の老人(ほとんど谷崎本人の分身)の、カタカナ書きの日記というかたちで展開する。彼は裕福な老後をおくっているが、原因不明の神経痛に悩まされ、死期のそう遠くないことを薄々と感じている。督助は、同居する息子の嫁・颯子(さつこ)の性的な魅力に惹かれていた。妻の目をぬすんでは自宅の浴室でキスなどをせがむようになる。とんでもないエロ爺さんなのだが、対する颯子のほうも役者が上で、彼を誘うような素振りをみせ、老人との間には一種の共犯関係が生まれていく。嫁が自分を冷たくあしらったり、あるいは300万円もする指輪をねだることにもマゾヒスティックな無上の悦びを感じる督助老人であった。老人は颯子の「柳鰈のような」日本人離れした美しいかたちの足に魅せられている。 ある日、颯子の許しを得て、浴室で彼女の足を脛から足指までしゃぶった後、興奮のあまり血圧が200を超えてしまう。 エロスと死が隣り合わせになった、凄絶にしてユーモラスな光景がこのような独白体で綴られていく。また、手の神経痛の痛みに襲われたとき、督助は颯子の前で痛さのあまり泣き出す。たくまずして出た泣き声であったが、颯子の同情を買えないことがわかるとケロリとして泣きやむ。しかし、その晩、颯子からその話を聞いたのか、孫の徑助が督助の様態を気遣って寝室を訪ねてくる。偽悪趣味を身上として生きてきた督助だったが、このときはさすがに孫のやさしさに心うたれ、我知らず落涙する。「コノ間ノ涙ハ氣ガ狂ツタ證據カト思ツタガ、今日ノコノ涙ハ何ノ證據ダラウ。コノ間ノ涙ハ豫期シナイデモナカツタ涙ダガ、今日ノ涙ハ少シモ豫期シテヰナカツタ涙デアル」。だだっ子にかえった老人の涙と、幼児の無垢な優しさに流れる涙。老人の複雑な心の綾をさりげなく、けれども深く描写していく手腕は見事だ。 身体が元気なうちに、督助は自分の墓を京都に設けることにした。彼は颯子と看護婦の佐々木を伴って京都へ旅行する。墓地を法然院に決め、次は墓石のデザインについて石屋と相談となる。なにごとにもつむじ曲がりの彼には彼なりのこだわりがあった。「予ハドウシテモ五輪塔ニシタイ。ソレモソンナニ古イ形ノモノデナクテモイヽ。鎌倉後期グラヰノ形デ満足スル」とか、「コレハ吉野時代ノ典型的ナ遺品ダサウデ、コノ式ハ南方ノ大和文化圏ニ流行シタモノダサウデダガ、コレモ悪クナイ」などと、微に入り細をうがつ蘊蓄を披露する。まるでブランドものを品定めする当今の若い女性のような入れ込み方。こんなところにもそこはかとないユーモアが漂うが、その逡巡の果てに、老人はとんでもないことを思いつく。 だが、颯子をモデルにしたことが誰の目にも判る石像など実現不可能なことだ。そこで、老人はさらに奇想天外なことを思いつく。ここから先は種明かしになるので書くわけにはいかない。が、それができあがったときのことをありありと思い浮かべる老人の脳裏には、死んでもなお永続するフェティッシュでマゾヒスティックな快感 ── そして完全犯罪を描ききった人のおぼえる愉悦 ── がわき上がってくるのだった。 三島由紀夫によれば、谷崎の追い求めた女性像には二面性が認められるという。ひとつはエゴイズムと肉体美を誇る『痴人の愛』の主人公ナオミに代表される女性のあり方で、この系列に属するのが『刺青』『春琴抄』『鍵』の作品群。いまひとつは亡き母に投影される慈母としての女性像で、この系列には『母を恋うる記』『少将滋幹の母』などがある。そしてこれらふたつの女性像が、『瘋癲老人日記』における主人公の極楽往生の幻想のうちに統一されると三島は言う。まさに卓見である。 もうひとつ。2001年に驚くべき本が刊行された。従来、『瘋癲老人日記』の颯子のモデルと噂されてきた渡辺千萬子さんと谷崎との往復書簡集が一本にまとめられたのである。この『谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡』を読むと、晩年の谷崎がこの女性から創作上も私生活上も、いかに大きな恩恵を蒙っていたかがわかって興味の尽きることがない。渡辺千萬子さんという人は日本画家の橋本関雪の孫にあたるひとで、書簡からもその聡明さが充分に伺われる。「瘋癲老人日記雑感」と題された文章のなかに次のような一節があった。「モデル自身と作品の主人公とが違うのは、当たり前のことで、身近に絵描きが居ましたので、小説と絵画の差はあっても、その違いは小さい頃からはっきり認識していましたから、どんなに書かれようとも全く抵抗はありませんでした。 この作品は一幅のシュールの絵画を思わせます。必要な要素を、色を、音を、香りを、それだけを取り出して、要らないものは前部省いて、谷崎が好きなように仕上げた美しくも妖しく哀しい壮大な抽象画だと思います」。 最後に、本書刊行の一年後、谷崎が渡辺千萬子さんに贈った歌を一首だけ引用しておこう。 昭和38年5月17日 死期の近いことを悟った谷崎は、千萬子さんから受け取った大事な宝物のような書簡をまとめて送り返してきたという。自分の死後にそれらが闇から闇へ葬られることを予感して、先手を打ったらしい。果たして葬儀の直後に、それらの書簡が見あたらなくなっていることが、千萬子さんの存在を疎ましく思っていた谷崎家で不審がられたという。谷崎という人はすべてを見通して、陰に隠れて何かを画策しようとする人々の動きを面白がっていた節さえあると、千萬子さんは証言する。 本書は中公文庫で入手可能。だが、当時のベストセラーだっただけに、オリジナル単行本の古書値は意外なほど安い。初版本でも帯無しならば1500円ほどで売られている。棟方志功の装幀や挿画を楽しめるので、古書店で探してみるのも一興。 by takahata: 2005.01.23 |
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『瘋癲老人日記』箱 |
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『瘋癲老人日記』本体表紙 |
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『谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡』 |
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