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失われた本を求めて
BOOK GUIDE vol.III

品切れ本を中心とした書評ページです。

エッセイ・評論 思想・芸術 文学
ゴーレム_グスタフ・マイリンク

ゴーレム

グスタフ・マイリンク 今村孝訳

1973年4月20日発行 河出書房新社刊 380ページ

ゴーレム伝説の貴種

原著は1915年(大正4年)の刊行。ちなみにカフカの『変身』や漱石の『道草』も同年に発表されている。マイリンクは1868年(明治元年)のウィーン生まれだから、47歳頃の作品ということになる。彼はプラハの商業専門学校を卒業してすぐ、二十歳そこそこの年齢で友人と銀行を設立する。しかし1902年に詐欺罪の容疑で捕らわれる。以後、銀行業を廃して、作家に転身。マイリンクは若いときから隠秘学(オカルティズム)に傾倒し、世界各地の秘教的な信仰団体に入会していたという。『ゴーレム』はそんなオカルト知識を綜合して書かれた彼の代表作だ。

ゴーレムと呼ばれる人造人間の伝説について、一度はどこかで聞いたことがあるだろう。もともとは12世紀のカバラ文献に現れたのが最初らしいが、さらに16世紀になってプラハのレーフというラビが記録したものが今日に伝わるゴーレム伝説の始まりとなったらしい。本書の解説ではこう説明されている。「下男として使うために作られたゴーレムが、ある晩ラビが護符をとりはずすのを忘れると急に凶暴になり、ラビに護符をはぎ取られて土くれに返る」。この伝説を下敷きに、1936年、チェコで〈ゴーレム〉という映画が制作され、これが日本でも公開されて、人造人間ゴーレムの名前が定着したらしい。映画は、かのルドルフ二世治下のプラハを舞台に、英雄的なラビが巨人ゴーレムを造って、ユダヤ市民を弾圧していた王を倒し、市民を圧政から解放するという物語のようだ(そう言えば日本にも〈大魔神〉っていう映画がありましたね。これがヒントだったのか)。

では、本書の内容はというと、ゴーレム伝説はヒントになっているものの、ストーリーはそれとは無関係に進んでいく。というか、カバラだけでなく、西洋神秘主義のあらゆる要素を混交させながら、より深みのある、魂の覚醒の物語に変容されていく。だから、人造人間の怪奇物語を期待される人には、少々罪作りなタイトルかもしれない。

物語の要約

物語は夢幻的な語りくちで幕を開ける。ある夜、ベッドのなかでもの思いにとらわれていた〈ぼく〉は、突然、薄暗い中庭に立っている。そこはプラハのユダヤ人街の古びた住宅だ。「ずっと昔からここに住んでいる、という感じなのだ」。〈ぼく〉が部屋にいたとき、不意にひとりの貴婦人が「ペルナートさま、お助けくださいまし」と、飛びこんできた。だが、ここで〈ぼく〉は眠りから覚める。ペルナート? 遠い遠い昔に帽子を間違えられたことを〈ぼく〉は思い出した。その帽子にはアタナージウス・ペルナートという名前が書いてあった。〈ぼく〉はまた眠りにおちていく。

ある日、〈ぼく〉ペルナートの部屋に見知らぬ男がいきなりやって来て一冊の本を差し出す。それは『イッブール(霊魂の受胎)』という古い本だった。それを読みふけっているうちに、ペルナートはヘルマフロディート(ギリシア神話に登場する両性具有の神)の幻覚をまざまざと見る。気がつくと、男は消えていた。そしてその姿かたちのいっさいがペルナートには思い出せなかった。この後、ユダヤ人ゲットーの嫌われ者で古道具屋のヴァッサートゥルムと、彼の息子で悪徳眼科医のヴァッソリの物語、また、ヴァッソリを自殺に追いやった医学生カルーゼクとその仲間サヴィオリの物語が続く。サヴィオリの愛人こそが、ペルナートに助けを求めた貴婦人アンジェリーナだった。

別の夜、友人のツヴァック爺さんたちと酒を飲んでいるとき、ペルナートは本を置いていった謎の男の話をみなに聞かせる。その男こそゴーレムではないかとツヴァックが言い出す。彼自身、33年前にゴーレムと出会っていたのだ。それから、ペルナートが酔って眠りこんだと勘違いしたツヴァックは、仲間にペルナートの正体について語り聞かせる。ツヴァックは知り合いの医者からペルナートを預かっていたのだった。彼の記憶を呼び覚ますようなことを絶対に尋ねないという条件付きで。それをペルナートは聞いてしまう。彼は記憶を失っていたのだ。また、別の夜、酒場でツヴァックたちと飲んでいたペルナートは、見えない冷たい指が口にねじこまれて息ができなくなってしまう。その指は本を持ってきた男のものだとペルナートは直感するが、体を硬直させて失神する。ツヴァックたちは、彼を自分たちの住居の隣人で、市役所の文書係ヒレルの住まいへと担ぎ込む。

ヒレルは無言のまま呪文をとなえると、ただちにペルナートの硬直を解き、こう言い聞かせた。「人は寝床から起きあがると、眠りを追い払ったと思う。つまり自分がさまざまな感覚のとりこになって、たったいまのがれた眠りよりもはるかに深い、あらたな眠りの餌食となっているのを知らないのだな。真の目醒めはひとつしかなく、いまきみが近づこうとしている目醒めはそれなんだ」。そしてペルナートがゴーレムだと考えている男は、「魂のもっとも内奥の生によって死者が目を醒ましたものだと思えばいい」と言う。
 ところで、古道具屋ヴァッサートゥルムは、息子の自死がサヴィオリたちのしわざであることに気づき始め、アンジェリーナとサヴィオリの仲をかぎ回っていた。そのアンジェリーナは、幼い頃にペルナートと知り合いだったと打ち明ける。一方でペルナートは、命の恩人ヒレルが赤貧の暮らしを続けていることを知り、彼の娘ミリヤムに身元をあかさないまま金貨を与えるようになる。こうするうちに彼はミリヤムに心を惹かれていく。だが、ある日突然、ペルナートは強盗殺人の容疑をかけられ、留置所に収監される。ヴァッサートゥルムに追いつめられるアンジェリーナや、ペルナートの無言の援助を失ったミリヤムはどうなってしまうのか? このあと、意外な結末が読者を待ち受けている。最後の一ページですべてが語り終えられたとき、読者は大きなカタルシスを得られるにちがいない。

ゴーレムとデーミアン

マイリンクは人間の魂の覚醒をあらゆる秘教主義的な知識を混ぜ合わせて描こうとした。こうした超=秘教的な物語はほかにもたくさんある。たとえば、モーツァルトの〈魔笛〉などは、その代表的な例だろう。ただ、こうした物語の通例として、主人公は真の自己覚醒への道をたどるうちに数々の試練に遭遇し、それらをひとつひとつ乗り越えながらさらなる高みへと上昇をつづけていく。だが、マイリンクの『ゴーレム』では、その試練は自我の幻影=ドッペルゲンガーである「ゴーレム」との対決に収斂している。

さて、この作品の刊行から4年後の1919年、ヘルマン・ヘッセは『デーミアン』を発表した。この物語もまた、ひとつの魂の覚醒の物語なのだが、グノーシス思想の「アブラクサス」という神を登場させている。『ゴーレム』に彼岸の王者として登場するヘルマフロディートも、『デーミアン』のアブラクサスも、ともに両性具有の神だ。そして、19世紀末以降、神秘思想の信奉者にとってこれらの神は、古い自我を破壊して新しい自己を再生するシンボルとして考えられていた。ここに当時のドイツ語文化圏に通底する時代意識 ─ バハオーフェンの唱える大地母神の影響 ─ を読み取ることは、あながち的はずれともいえないだろう。

実は、ゴーレムとデーミアンを結びつける人物がいた。C.G.ユングだ。以下は箱崎総一氏のエッセイ(『現代思想』1984年8月号)から借用する。
 誰かの前に立ってその人の瞳をのぞきこむと、そこにはのぞいている本人が映っているのが見える。そこで瞳孔(プーピラ「pupilla」ラテン語)という単語が、少女、人形などを意味する「プーパ pupa」(「pupilla」の縮小名詞)から派生した。同様の発想で、カバラ神秘思想、グノーシス思想などでも瞳孔のなかに宿る小人(ホムンクルス「homunclus」ラテン語)についての言及がある。もともと、ホムンクルスとは古代医学の胎生学の概念で、精子のなかに存在する、成人の姿が微細に宿っている胚芽と考えられていたのだ。このホムンクルスを、ヘブライ語ではゴーレムと呼ぶのだ。ゴーレムという言葉はヘブライ語の旧約聖書に「胎児」という意味で初めて一回だけ登場する。また、タルムードによれば、アダムは初めゴーレムとして創られ、その大きさは地から天までとどくほであったという。
 さて、ユングは自宅の庭にホムンクルスを彫った石を安置していた。「その石は私を見つめている目のようであった。そこで私はそこに目を刻んで、その目の中心に小さな人間の像、ホムンクルスを彫った。それはあなたがたが他人の目の瞳のなかに見出す一種の人間 ─ つまりあなた自身 ─ である」(『ユング自伝』より)。ユングもまたゴーレムを持っていたのだ。
 ところで1910年代に、ヘッセはユングの弟子・ラング博士のもとで精神分析にかかっており、グノーシス思想についても多くを学んだらしい。ヘッセ自身はユングからの直接的な影響を否定しているようだが、スイスのアスコーナの地でグノーシス思想に沈潜して大きな精神的転換を経験しているのは事実だ。こうして、ゴーレム=ホムンクルス=ユング=ヘッセ=デーミアンという連環が、グノーシス思想を媒介として成立すると、わたしなどは勝手な想像を楽しむのだが。このあたりの事情は上山安敏氏の『神話と科学』(岩波書店刊)に詳しいので、興味のある方は同書に赴かれんことを。

最後に、ひとこと付け加えたい。ちょうど30年前に本書を読んだとき、ヒレルの次の言葉が印象深かった。
「人生はすべて、答えの芽をうちに含んだ問いと ── 問いをはらんだ答えとが、かたちをとったものにほかなりません」(本書 p.142)。
だが、今度再読してみたとき、それに答えるツヴァックの言葉が妙に心にしみた。
「そのとおりだ、そのたびごとに内容のちがう問いと、人ごとに理解の異なる答えとだ」。

本書はその後1978、90年に新装版が刊行されたが、現在は品切れの状態が続いている。同じ著者の長編『西の窓の天使』(国書刊行会刊)は入手可能だが、おもしろさは『ゴーレム』よりも劣る。

by takahata: 2005.01.15

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文学篇

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09『一休』水上勉
10『伝奇集』ボルへス
11『不死の人』ボルへス
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13『黒の過程』ユルスナール

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